東日本大震災から昨日で丸十年。
当時働いていた職場から3つも変わっている。
10年前は、震災の起きた時間帯はいつも家に帰っていた。
昨日は、シフトの加減で職場に着くなり黙とうということになった。
カバンを置こうとした瞬間に全館一斉放送で気が付いたのだった。
私は一人ロッカーの前で手を合わせることになったのだけど、数秒してこの黙とうの放送に気が付いていない人から、挨拶をされた。無視するのも変だから挨拶をしてすぐ黙とうに戻った。
その1分間ロッカーの前でなんだか落ち着かなかった。
でもよくよく考えれば、通勤時の車の運転中でもなく、接客中でもなく逆に黙とうする時間がしっかりとあったのも不思議な気がした。
なぜ、犠牲になる人が出てしまうのだろう。
毎年毎年、考える機会を与えられる。
自然は一体何を訴えかけているのだろう。
何かぼんやりとしかわからないけど、何かを訴えかけていることだけは間違いなさそうだ。
こうして、人間も進化を遂げていくのだろう。
【陰徳陽報】いんとくようほう … 人知れずよい事をする者には、必ずはっきりしたよい報いがあるということ。「陰徳」は人に知られない隠れた善行のこと、「陽報」は表面にあらわれるよい報いの意。
補説 … 「陰徳有る者は必ず陽報有り」の略。
漢検四字熟語辞典【第一版】より