50歳を前にして、最近強く思うことがある。
法要などのお供物のお裾分け。こういったものがキッチンに溜まりがちなのだ。
買った身に覚えのないものを、使うだとか食べるだとかいうことをまずしない。
こうやって存在すら忘れ去られてしまうのだ。
時たまストック品をチェックしては、これはいつ、いつまでの消費期限だ。だから、まだ置いていてよし…となる。
興味がないからかスルーされては忘れられる。
昨日、よそったご飯があまりがちだったのでふりかけのいただき物があったと思ってみてみたら、開封済みの消費期限の切れたお茶漬けの素を発見した。
結局このようにして開封しては、放置されてしまう。
昔、高野豆腐のいただきものの方が消費期限が早いのを知らずに、前から買ってある方を開封して半分残していた。このまま入院することになり、姑、小姑、夫に発見されることになり、こっぴどく嫌みを言われたこともあった。
これ以来、後で家にきたものの消費期限を入念にチェックするようになった。
これは、ヨーグルトを購入する時なんかも同じことが言える。店によって、消費期限が違うから先に家に置いてあるほうが新しい場合もある。
今では、極力同じものがかぶらないように、注意して買い物を出来るようになった。
【応接不暇】おうせつふか … 忙しくていちいち応じきれないこと。物事が次から次へと起こって対処できない意。
補説 … 「応接に暇あらず」とも読む。出典には「文王旰食して日に給するに暇あらず」とある。
出典 … 『世説新語』〈言語〉