昔コンビニで働いていた頃の話、当時学生さんで授業が終わった後、その足でアルバイト先のコンビニに向かい、夜勤アルバイトを頑張っていた青年がいた。
この青年とは、週に1~2回程度は夕方の同じ時間帯勤務であった。
この青年は、夕方のこの時間帯は主にレジ業務を担当していた。私が見た印象は、さわやかな接客で嫌みが無く、本当に人から愛されるようなやさしい雰囲気を持っていた。
実際、お客さんが彼の接客で気持ちよく帰って行かれるのも目撃した。
勤務時間が終わってから、夕(?)飯を自炊することもよくあるそうで、帰りに店で買い物をしていて、一通り買いたいものをカゴに入れていざレジ待ち!と、なっても、そこにお客さんの姿があれば、即順番を譲り、いつもその後に自分が並ぶのだ。
お客さんが途切れなければ、それを延々繰り返すのだ。私ももちろんお客さんファーストで、勤務時間外であろうと譲りたい気持ちもある。それでも、ある程度のところで見切りをつけ、そろそろ自分の番だと認識する。
この青年は、気配りができるのに加え、頭の回転もよく話も面白い。本当に接客業に向いている。そのようなことを褒めたりされても、低姿勢でいて決して気取ったりしないのだ。
私も息子がいるので、結構家で彼の話をしていた。息子も見習ってほしいと思ってのことだ。
この青年は離れた実家に帰るたび、アルバイト代が全て飛んでいくのだと言いながらも実家の両親のことを想い、よく帰郷していた。
彼のお父さんはステージ4の癌を患っているのだと聞いていた。
そのお父さんが病床に臥す以前に車を購入していたそうだ。まだ、一度もその車に乗っていないのに、彼のお父さんは逝ってしまった。癌に打ち勝ってみせ、乗るはずだったその車に一度も乗ることなく…。
「お父さんが乗りたかったその車、今度は◯◯君が大事に乗ってあげてね。」そう言葉をかけ終えると、私は号泣した。
そんな言葉、人から掛けられなくとも彼はそうするに違いない…。
いうまでもなくお父さんの形見となったその車を、彼は今も大事に大事に乗っているはずだ。それを天国のお父さんもやさしく見守っていることだろう。
【一了百了】いちりょうひゃくりょう … 一つのことが解決すれば、すべてが解決すること。また、一つのことから万事を推測すること。人に死が訪れれば万事終わりであるという意味から転じた。「了」は終わる、すむこと(完了・終了)。また、明らかなこと(了然)。
漢検四字熟語辞典【第一版】より