昨年(2020年)新型ウイルスが流行して以来、人前に出るときにマスクをつけることを当然のようにしてきた。
まぁ、当然しなければいけないものだし、それがエチケットだから。
新型インフルエンザが流行ったとき(2009年)にはまだ事務員として医療機関で働いていた。ここで働く者の宿命として勤務時間だけはあれだけ息苦しく感じられたマスクも頑張ってつけてた。
それが今は、家にいるときと一人の車の中以外は殆どマスクをつけるようになったんだから。
追い込まれるとなると意外と気にならなくなってしまうものだ。慣れって恐ろしい。
それでも、同乗者のいない車内でマスクの必要性を感じないので、やっぱり外す。
そうすると、商業施設などに行ったりするときは駐車場に着くとあわててマスクをすることになる。
一度、郵便局に入って手続きをしている時にマスクをしてないことに気付いたことがあった。
その時は、必死で手で口を覆いながら局員さんに申し訳ない旨を伝えて話をした。数分間でも気になるものである。
車にはそれまで使っていたマスクがあり、箱ごと常備しているっていうのに…。
そういえば、勤務先のスーパーでマフラーで口を押さえ、しきりに謝るお客さんが来店したこともあったっけ。
このお客もやはり、車にマスクを置き忘れてきたらしかった。
このような生活は、もう一年程経つというのに数週間くらい前だったかな?私もまた、スーパーでの買い物の時に同じことをやってしまった。
この時は、入り口から5~6歩くらい歩いただけだったのに、やたらと人の視線を感じたので(う~ん、何だかおかしいな。)と、気が付いたのだった。
この時はすぐにカバンの中にあったマスクをつけることが出来て事なきを得た。
マスクをつけていない人をセンサーのように感知するのかしらねぇ。
まぁ、マスクをつけていてもやたらと人の視線を感じる日もあるもんだから。
そんなこと知るか!!という声が聞こえる前にここらで失礼させていただきます。
【韋編三絶】いへんさんぜつ … 書物を繰り返し読むこと。読書や学問に熱心なたとえ。「韋編」は木簡「木の札)や「竹簡」(竹の札)をなめし皮のひもで綴った昔の着物。「三絶」は何度も断ち切れる意。「三」は回数の多いことをあらわす。
補説 … 「韋編三たび絶つ」とも読む。
故事 … 孔子が『易経』を何度も読んだため、その書を綴ったなめし皮のひもが幾度となく断ち切れたという故事から。
漢検四字熟語辞典【第一版】より