またまた、夜更かしをしてBOØWYと氷室京介さんのYouTube動画を楽しませていただいた不良!?おばさんです。
当時の氷室京介さんが見れて本当にありがたい。アップしてくださっている方々に感謝です。
氷室京介さんのソロになってからの曲も聴けて、あの頃を思い出していたら、(う~ん、この曲もあった、あった)って感じ。
それでも、BOØWY程の思い出がないことに気づく。
そこで、リリースされた時期を確認していたら、体調を悪くして長期間入院していた頃だった。
あんなに社会人になったことをかみしめて、後押ししてもらった氷室さんの曲。
入院中は当時午後9時就寝で、病棟中の電気が一斉に消された。
きっちりそれを守り抜いていると、朝は5時に目が覚めてしまう。
当時の病棟のテレビは、100円硬貨を入れて1時間くらい見れたかな?それは後にカード型に変わったけど。
そう、同室の方々すべて同じメーカーのテレビだったものだから、電源オン、オフのたびに誰かのテレビが買ってに操作されてしまうという現象がそこここで起きていた、そんなテレビ。
さて、午前5時には必ず起きるから、まずニュースを見るためにテレビをつける。
見終えたら、サッサと電源を切る。
午後7時のニュースの時間になったら、またつけて終わったらすぐに消す。
そして、たまにワイドショーなども見た。
これは、ダラダラと見ていてはいくらでもお金がかかるので適当な時間で消す。
あとは、ずーっと読書、読書で毎日過ごした。
こんな感じだったし、歌番組もどんどんとなくなっていった頃だったから、巷ではどんな曲が流行っているのかあまり知らなかったのだ。
愛用のウォークマンは持って行ってたはず。今考えると、何故ラジオを聴かなかったのだろうとも思える。
そんな感じだったから結婚式で友達が歌ってくれたドリカムの未来予想図Ⅱもこの時初めて知ったのだ。
(みんな歌ってくれているよね、でも私は歌えない。)これが私の心の声だった。
入院中は布袋寅泰さんの『GUITARHYTHM』は入手済みで鬼リピートしていたというのに…。残念なことに氷室京介さんのソロの曲を網羅していなかった。
スマートホンがまだなかった時代の話。
完全に思い出とリンクすることは出来ないけど、これからも聞き続けていきたいな♡
【渭浜漁父】いひんのぎょほ … 渭水のほとりで釣り糸を垂れていた呂尚(太公望)のこと。太公望といわれた呂尚は渭水のほとりで釣りをしていたとき周の文王に見出され、のち文王の子武王を補佐して周王朝を開くのに功績があった。「渭」は渭水(→「渭樹江雲」)。「漁父」は漁師、また年老いた漁師。
補説 … 「漁父」は「ぎょふ」とも読む。
漢検四字熟語辞典【第一版】より