先日、職場でいつものように仕事をしていた。
そこへ、どうやら通路向こうの背後から、そこそこ大きな声で「オバチャ~ン!!」「オバチャ~ン!!」と、呼ぶ声が聞えてくる。
私は仕事中、この声の主からオバチャンと呼ばれる筋合いはないだろう然として、”絶対振り向いてやるか!!スイッチ”を入れた。その声はさらにこちらへ近づいてきて、とうとう振り向かざるを得ない状況になった。
しょうがなく振り向くと、おそらく20代であろうと思われる男性が、例の「オバチャ~ン」から始まり、「車椅子ってありますぅ~?」と続けた。
しかるべきご案内をし、一体何故必要なのか、接客をしながら観察をしてみると、スーパーに一緒に来ていたご老人のための車椅子の要請だった。
それはそれで、やさしい青年であるから良しとするのだが、問題は大勢いる場でのそこそこ大きな声での「オバチャ~ン!!」だ。
私がこの青年の叔母ならともかく、「店員さ~ん」でもいいし、それも嫌なら、「すみませ~ん」と、声かけしてもらえばよいと思うのだが…。
大抵の人は、「すみませ~ん」と、いってこられる。
それは、私は40代後半のおばさんには違いない。これは決して間違っていないし、子どもを産んでから、子どものお友達からは、○○ちゃんのおばちゃんって呼ばれてきたわけだから。それなのに、なぜこのような場合に呼ばれる「オバチャン」ってこんなに不快なのだろう。
接客中、ほとんどの30代または4、50代母親世代の方が、気を遣って私のことを「お姉さん」と呼んでくださり、これも心の中では「違うよね、おばさんなんだよね」って思いながら、(お気遣い、ありがとう)っていうふうになる。
ここから遡ること6年も前の話になるけど、コンビニでも少しの間働いていた経験があり、ここでもやはり同じようなことが起きたのだった。少なくとも6年は今より若かったわけだ。
しかも、レジでは面と向かって、デリカシーの欠片もない様子での、大音声「オバチャーン!!」なのだ。いや、分かっているオバサンなのだから…。悪意はなかったのかも知れない。それでも、仕事中一生懸命している中でのオバチャンというキーワードがこんなにまでも不快に思えるのは、一体どういうことなのだろう。
そのうち、しっくりとくるようにでもなるのか?…まあ別にそれはそれでいいけれど。
【暗中摸索】あんちゅうもさく … 手掛かりがないままに、あれこれとやってみること。暗闇の中で手探りで探し求めるという意。
補説… 「摸索」は「模索」とも書く。
漢検四字熟語辞典【第一版】より