毎日のように休憩時間に缶コーヒーを飲む。
それも、店内持ち歩き用の手提げにコーヒーのしずくが落ちないように必ず蓋つきのものを買う。
この時期になってもまだアイスコーヒーを飲みたいと思わないので、仕事中は少し暑いなと思ってもやっぱりホットコーヒーを買う。
しかし、勤務するスーパーにはホットコーヒーコーナーは縮小され、蓋つきのコーヒーは置かれていない。
なので、まだ蓋つきホットのある自販機にたよることになる。
あと、店内でお菓子を買うときについでにコーヒーも買うときは、常温の棚まで探しに行く。
容量の少ないコーヒーだったら、蓋なしであってもすぐ飲んで、ゴミ箱に捨てればいいと思うでしょう。
しかし、休憩室にいったん持ち込み、何かお菓子をつまみながら飲むことにこだわっている。
このコーヒー缶を家に持ち帰り、捨てる。
店のテープの貼られた缶にふと目がいった。
そうしたら、もう何年も前の話になるのだけど、レジでお客さんに断りを入れながら店のテープを、ペットボトルの本体部分に貼り、こっぴどく叱られたことを思い出した。
このお客さんは、中年男性で「あ~っ!!そこには貼らんといて~!!」…と大声で言った。相当にペットとプラの分別に敏感であり、このテープを剥がす手間さえ惜しんでいたのだ。
このことがきっかけで、極力同じ素材のところに貼り、分別のことも頭に入れておくようになった。
些細なことだけど、二度手間を省けるのならそれに越したことはない。
言いかたも言いかただったので、なんなんだ、この人は!!とその時は思ったのだけど、コレクションにしている物であるとか、物によっては剥がした痕が残っても嫌だったりするんだよね。
価値観、こだわりは人それぞれで本当に難しい。
【禹歩舜趨】うほしゅんすう … ⇨禹行舜趨(うこうしゅんすう) … 禹や舜の表面上の動作をまねるだけで実質的な聖人の徳を備えていないこと。禹が歩き舜が走るのをまねるだけで実質が伴わない意。「禹」は舜から位を禅譲されて夏王朝を開いたとされ、「舜」は尭から位の禅譲をうけたとされる人で、いずれも中国古代の伝説上の聖天子。
漢検四字熟語辞典【第一版】より