執着と決別する一つの儀式

絶対捨てられないと言い切ってから、処分をし始めた本が続々出て来た。

先月櫻庭露樹さんの講演会に行った際、「寝室にどうしても捨てられない本があるんですけど、やっぱり寝室に本棚は置かないほうがいいですよね。」と、この日の講演会の内容とは関係ない質問にも、快く答えていただいた。

やはり置かない方がよいということでした。それなら、他の部屋に置くことを考えてみようということになり、いざ本棚の本を取り出してみた。

それでも、やっぱり処分出来ないだろうか?と、捨ててしまってもよい本を探してみた。

絶対に捨てられないと思っていた、この本がなくなってしまったら困るんじゃないかって思ってたそんな本を手に取り、買い取ってもらえるお店に持っていくことになった。

一番最初は不要な本15冊を選んで頑張って重ねて持って行った。でも一度に持っていくのはやっぱり重たい。かといって、それらをまとめて入れるようなものも見当たらない。

それなら…と、5冊程度に小分けにして持って行くことになった。これなら、手に直に持っていける。その都度、要らない本を選んでいこう!!ということになった。

こうして今4回ほど、休日になっては買い取ってもらえるお店に持って行くことを繰り返している。

私にとっては、執着と決別する一つの儀式のようなもの。

もしかしたら、老後にこれらの本をまた手にとるんじゃないかとずっと思って過ごして来た。

実際、義母義父が亡くなったあと、これが少しさみしいのだけど、故人の所有物の数々を血の分け合った者でさえ欲しがらなかったという現実を目の当たりにしたのだ。

価値観というものは、本当に個人個人で違うものなのでしょう。

そういうこともあったので、私も自分の所有物なんて、残された者からすると、極端にいえばそれはもうゴミでしかないんだと思えるようになってきていた。

こうやって、生きているうちにものを整理することによって、本当に大事なものと向き合えるような気がしている。

櫻庭露樹さん(写真中央)の講演会後に…写真左はマッチ邪兄さん

四字熟語コーナー

【一殺多生】いっせつたしょう … ひとりの人間を犠牲にして多くの人を救い生かすこと。多くの人を救うには一人を殺すこともやむをないという大乗的な考え方。仏教の語。

補説 … 「一殺」は「いっさつ」とも読む。また、仏教読みであるので「たしょう」と読み、「たせい」とは読まない。

漢検四字熟語辞典【第一版】より

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